鉋とコリー2頭が東京へ
11月27日(月)、道端で出逢った黒柴♀の鉋が東京のシェルターへ引っ越しました。
と同時に、繁殖場からコリーの姉妹2頭を保護し、鉋と一緒に東京へ旅立ちました。
2013年5月生まれのアナとアヴリル。
4姉妹のうちの2頭で、1頭は去年亡くなり、もう1頭はまだ保護できていません。
いつか保護できるでしょうか……。
いつか。
クルスのようにその「いつか」が訪れないような気がして暗澹たる気持ちになりますが、それでも、一歩ずつでも前に進むしかありません。
そしてクルスの死は、僕にとある決意をさせました。
流る星を背に―― 運命に牙を剥け!
以前から看取りボランティアさんを探していた2008年生まれの黒柴♂を、迎え入れることにしました。
「いつか」などと言っていたら、この子は生まれてから一度も繁殖場の外に出ることなく檻の中で死んでしまうでしょう。
そんなの、あんまりだろ。
何一つ悪いことなどしていないのに、無実の罪で懲役15年。
まさか生まれたことが罪だとでも言うのか?
罪があるとしたら、それはどう考えても俺達人類のほうだろ?
何が悪いのか?
誰が悪いのか?
クルスが死んでから、ずっとそのことを考えています。
動物愛護を取り巻く問題は、もはや特定の誰かが悪いとか、そういうレベルの話ではないと思います。
ミクロの視点では、パピーミルだとか、オークションだとか、ペットショップだとか、そういう話になりますが、もっと深い次元で、いったいどこで誰が何を間違ってこんなことになったのか?
ふと思いました。
何万年も前に、最初にその《獣》と出逢ってしまった《人類》――俺はお前に言いたいことがある。
どうして森へ追い返さなかった?
どうして守れもしない約束をした?
その結果が、この裏切りの現実。
誰かが悪いとしたら、誰かを恨むとしたら、その《獣》と果たせない約束を交わした《最初の人類》なのではないか?
森へ追い返さず、檻の中へ招き入れたその《人類》を、僕は恨みます。
それでも、その《獣》は心の優しい奴だったのかもしれません。
《人類》に寄り添い生きてゆく道を選んでくれたその命に、僕達はどう報いるべきなのか?
クルスが生きてゆくはずだった、鳥籠の外の世界。
その世界へ、15年という月日の果てに、この子を連れ出しました。
きっともう、長くはないでしょう。
ですが燃え尽きる最期の瞬間まで、流る星のように煌めいてほしいと願い――
元の名前と響きを似せて、【流星】と名を贈ります。
流星が死んでゆく世界は、在るべき犬生を送れなかった多くの哀しい命達が、生きることすらできなかった世界。
最後の時間、せめで穏やかに死なせてあげたいと――願うのはそれだけです。
↑流星が生きた世界の全て。15年間、彼の世界にはほかに何もなかった。
最後尾の見えない行列・・・
この行列はどこまで続くのでしょう。
きっと生きている間に、僕が最後尾に辿り着くことはできないと思います。
それでも……。
↑歩花のお父さん。小さな幸せを祈ることしかできない。
生きるために森を出て、人間に撃ち殺される熊。
その熊を森へ追い返そうとする人間達。
戦う機会すら与えられず、人間に弄ばれる繁殖犬。
繁殖犬達に、もう帰る森はない。
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