誰かの命日だ。
5月20日
2021年5月20日。
フレンチブルドッグの石松が旅立った日です。
血統書に記載されていた生年月日は信用できないので、誕生日はもうわかりません。
けれど命日だけは真実です。
息を引き取るその瞬間、僕は石松のすぐ傍にいました。
そして少し早いですが、5月25日はダグナの命日です。
2023年5月25日。
ダッちゃんは僕を追い越して旅立って行きました。
毎日が誰かの命日。
僕がこれから関わってゆくのは、きっと生よりも死のほうが多いと思います。
命は独りで生まれて来ることはできません。
それなのに、死は孤独に受け入れるしかないのでしょうか?
僕は葬式で泣いたことがありません。
祖父と祖母が亡くなっても、そういうものなのだと自然に受け入れることができました。
でも、マックスが死んだ時、僕は全く納得ができず、到底受け入れることなどできませんでした。
そして繁殖場で多くの子の最期を目にした時も、その現実を認めたくありませんでした。
なぜこんなにも彼等の蝋燭は短いのだろう?
僕よりも後に生まれて来て、それなのに僕を追い越して逝ってしまうあの子達。
昏く、冷たく、寂しい檻の中で、忍び寄ってくるそいつに連れ去られるように、孤独な最期を迎える繁殖犬という哀しい命。
最後くらい傍にいてあげたい。
死が孤独に受け入れるしかないものだとしても、せめて寂しくないように、独りで旅立たせることのないように、その瞬間を笑顔で見送ってあげたい。
だって、あんまりじゃないですか。
石松が死んだ時、ピクシーが死んだ時、恋が死んだ時、ダグナが死んだ時、サリウスが死んだ時――
とても悲しかったけれど、虹の橋の袂、その草原へ迎えに行くと約束ができたから、だから現実を受け入れられたのだと思います。
けれど、その約束すらできない子がいるのです。
僕は犬達に返しきれないほどのものをもらいました。
恵まれない環境で生きてきたあの子達にもらったそれは、どんどん降り積もり、そして返す間もなく、あの子達は逝ってしまいます……。
この恩を、僕はどうやって返せばいいのでしょう。
最初はマックスを迎えに行くだけのつもりだったのに、今やたくさんの子を待たせているような気がします。
明日で石松家は2年目に突入します。
あっという間の1年でした。
ですが目指すべき頂、進むべき道が少しだけ見えた気がします。
彼等の死を、孤独なものにしない。
ずばり、シニア犬を看取ってくれる人を増やさないとダメだと痛感しました。
死を分かち合い、笑顔で寄り添い、最後の時間を伴に過ごしてくれる理解者を少しでも増やす。
そのための啓発活動に力を入れていきたいです。
はっきり言いますが、一人じゃ絶対無理です。
どうか皆さんの力を頼らせていただきたく思います!
二年目の石松家を、何卒よろしくお願い致します。
毎日が誰かの誕生日で 誰かの命日だ
Sound Horizon『遺言』
祝えない朝などないし 祈らない夜もない
御礼
K様とYちゃんからは、冴朝とみんなのためにおやつが届きました。
素敵なお手紙も拝読致しました。
ありがとうございました。
N様からはフードのご支援をいただきました。
大変ありがたく、助かります。
温かなご支援、心より感謝致します。
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