2026.7.26 群馬県庁32階でお話し会を開催します
群馬県愛玩動物協会代表の齊藤恵美子さんと、
「繁殖犬の福祉」についてのお話しをさせていただきます。
ご興味のある方はご予約の上、是非お越しくださいませ。

石松家の活動理念
パピーミルゼロをめざして
石松家の夢は、この世界から子犬工場をなくし、【在るべき犬生】を送れない哀しい繁殖犬が生まれてこない未来を創ることです。
そのために何が必要なのか?
動物愛護法の改正?
規制や罰則の強化?
もちろんそれらも重要です。
しかしそれ以前に、まずは繁殖犬達――ひいては産業動物が置かれている過酷な現実について「知る」ことから始めなければなりません。
ペットビジネスを支えている堅牢な《不自然の摂理》は、既にこの社会に強固に根づいています。
それを1年や2年で壊すのはとても難しいでしょう。
これは10年、20年、もしかしたら100年先までかかるかもしれない、長い戦いなのです。
だからこそ、今の子供達や、さらにその子供達――未来の主人公達に、教育を通じて動物の福祉について考え続ける社会を築きたいのです。
アナタの愛犬のお父さんとお母さんは、幸せに暮らしていますか?

動物の福祉
人類にとって、イヌだけが特別な命というわけではありません。
与えられた命は皆、在るべき生を送ることを望み、望まれ、その何かを探し求める戦いの中で死んでゆきます。
しかし、戦う機会すら与えられずに死んでゆく哀しい命達が、この世界にはたくさんいます。
文明人たる私達は、彼等の命とどう向き合うべきか?
現代になって急速に叫ばれ始めるようになった「動物の福祉」や「動物の権利」とは、どんな理想を追い求め、どんな矛盾を孕んだものなのか?
昨日アナタが食べたブタやウシだって、きっと死にたくないと願っていたはず。
同じ不幸な命なのに、なぜイヌやネコだけを助けるの?

憧憬と撞着の中で
右手で命を助け、左手で命を奪う。
昨日命を生かしたその手で、今日命を殺して食べる。
繁殖犬を助けようと行動するほどに、動物の保護を謳う世界には「矛盾」という壁が高く聳え立っていることを痛感しました。
この矛盾は、時に動物愛護を掲げる者に牙を剝いて襲いかかります。
この問いに対する正解を、おそらく人類はまだ見つけ出せていないのでしょう。
明確な答えを誰も持っていないからこそ、足並みも揃わず、動物の福祉は遅々として向上されません。
動物の保護に関わる者同士でさえ、同じ憧憬を抱いているはずなのに、自家撞着に陥り、諍いが絶えない状況なのです。
「中庸」という言葉があります。
「中立」と似た意味ですが、ニュアンスは異なります。
中庸とは、矛盾を超克した先にある心の持ちようです。
たとえ矛盾した生き方だとしても、自己を否定せず、全てを受け入れる。
たとえ矛盾した世の中だとしても、世界を肯定して、総てを受け容れる。
きっと誰にも敵なんていないのに、敵を探し、敵を傷つけ、敵を排除し続けた先に、動物に優しい未来なんて訪れるはずがありません。
今の私達に求められているものは、そんな心の在り方なのだと思います。
そしてそれは、誰かに押しつけたり、押しつけられたりするものではありません。
水が大地に滲み込むように、ゆっくりと、人々の心に長い年月をかけて優しく広がってゆくものなのです。
それを「涵養」と言います。
動物に興味のない人、無関心な人、嫌いな人――彼等は決して私達の敵ではありません。
むしろそういった人達にこそ、まずは知ってもらいたいと思います。
私達は、動物愛護精神の涵養を目指し、活動して参ります。
理想と現実の狭間で苦しむとしても、私達は命に寄り添い続けます。

見えない星の声

日本に生きているイヌの多くは、野生動物ではありません。
野犬にしても、多くは人間の生活環境に依存して生きており、完全な野生動物とは言えません。
山の中で生きるクマのように、文明社会に一切関与せず生きているノイヌは珍しいでしょう。
イヌ――特に、アナタの愛犬の親犬かもしれない繁殖犬は、ブタやウシ、ニワトリと同じ産業動物として扱われています。
「家畜」という存在は、人類が生み出した歓びと哀しみの命です。
狩猟と採集によって生き抜いていた時代には存在せず、農耕と共に本格化し、文明が発展するたびに数を増やし、同時に多くの悲しみと苦しみも生まれてしまいました。
文明人たる我々には、彼等に果たすべき務めがあります。
誰にも知られない命なら、どんな目に遭わせてもよいのか?
――そんなはずは、ありません。

街頭での署名運動を計画中!
動物愛護精神の涵養の啓発、そして動物愛護法改正に向けての取り組みを計画中です。
具体的に決まり次第、こちらに追記して参ります!



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